阪神淡路大震災について改めて学ぶ

阪神淡路大震災について改めて学ぶ

楽しい住まいを創造するエスエイチスペースの柿澤です。
先日、私は淡路島へ耐震性の勉強に行ってきました。
皆さんご存知かと思いますが、淡路島北部は阪神淡路大震災の震源地であります。
そして私毎ではありますが、震災被災地となった阪神地区の神戸市は
私の第二の故郷でもあります。 
故郷とは、人生で2番目に長く住んだ場所です。
私の住まいづくりの原点こそが、この阪神淡路大震災にあります。
地震が発生したのは、1995年1月17日 
マグニチュード7.3  戦後の大都市直下型地震により
死者は6400人以上(関連死も含めると7000人前後になると思われます)で、負傷者、被災者
含め、多くの被害をもたらしました。  
一瞬で人の生命奪い、住まい、仕事など、
人生の土台を崩壊させました。 
ここでは語りませんが、当時の私の記憶も鮮明です。
今回、この震源地である淡路島北部に震災記念公園があり、当時の断層のズレをそのまま
保存されている記念館があります。  
神戸に住んでいる時には、実は訪れた事がなく
今回「断熱と耐震の学び」に神戸淡路と訪れ、見学に至りました。
これは、再現された国道43号線の倒壊現場です。

スクリーンショット 2024-11-08 171443.png

高速道路が落ちてました。 倒壊した横を
震災後に車で走った記憶が鮮明にあります。
凄まじい光景でした。 この道路は片側3車線の大きな道路で
朝や夕方のラッシュ時は、全車線渋滞していました。
もし、地震発生時刻が通勤時だったら、、、
死者は、数倍以上になっていたと思います。
そして、これが実物の断層です。

スクリーンショット 2024-11-08 171452.png

断層が約50cm隆起し、1m20cmも地面がズレたとことです。
そして、断層の保存するにあたり、数年前の地震の痕跡も発見されてました。

スクリーンショット 2024-11-08 171502.png

甚大なる被害をもたらしたこの断層の動きは、約2000年に一度発生しているとの事でした。
そして、この断層の真上に建っていた建物(RC造の立派な建物です)のキッチンルームを
そのまま保存してありました。

スクリーンショット 2024-11-08 171511.png

全て、ひっくり返ってしまっています。
ビルが倒壊する揺れでしたらから、壮絶なパワーです。
今回の能登地震の被害が甚大です。
人の生命が奪われ、生きる土台となる住まいや仕事を
多くの方々が失いました。 

そして、これは対岸の火事ではなく
関東でも、明日にでも起こり得ることです。
当社が建築する住まいは「楽しい住まい」をテーマにしています、が
住まいづくりのベースは、安全な住まい、
「地震に強い構造」の住まいであります。
その証として、当社は株式会社リクシルと提携し、
全棟耐震等級3の取得ありきや、壁量計算や配置バランスの確認だけではなく、
一棟一棟毎に、柱や梁などが荷重や地震に対して
十分耐えられるか細部まで計算する
【許容応力度計算】を当社は行なっています。

この【許容応力度計算】こそが、地震への備えとして
一番大事な事であります。

歴史に学びながら、新しい技術を学ぶことで、
より住まいづくりを進化させていきたいと思います。
耐震に関する多くの学びを今回得られました。 

そして、その学びを当社らしく、実践・実行していきたいと思います。
私の、当社の住まいづくりの原点、
「地震に強い家づくり」 精進して参ります。

感謝
柿澤 哲次